お知らせ

皆様、お元気でいらっしゃいますか?

新型コロナウイルス感染予防のためのワクチン接種が始まっています。
全体に行き渡るには、まだまだ時間がかかると思います。
どうぞ、確かな収束の時まで、気を緩めることなく生活を送りたいと思います。

大切な連絡があります。
今日行われた役員会で、以下のことが決まりました。

  1. 立川教会は、3月7日(日)に緊急事態宣言が解除されても、現在の感染状況に鑑み、3月いっぱいはオンラインによる礼拝を続けます。
  2. 通常の礼拝再開は4月4日(日)のイースターからとなります。それに伴い、聖書研究・祈祷会も4月7日(水)からの再会となります。
  3. ジュニア礼拝(9:15-9:45):平常通りです。
  4. 夕礼拝(19:00-20:00):平常通りです。

一日も早く皆さんで集まっての礼拝を行いたいのですが、現状では止むを得ません。 再開の日まで、各自、しっかりとご自宅での礼拝をお守り下さい。

◆2021年3月第1週の礼拝予告
■日 時:2021年3月7日(日)10:30-11:30 受難節 第3主日
■場 所:立川教会
■説 教:飯島 信 牧師
■説教題:「御心に適うことが行われますように」
■聖 書:マルコによる福音書14:27-52(新約p92)
■讃美歌:211「あさかぜしずかに」・505「歩ませてください」

◆今週の聖書日課(3/1-3/6)【日本基督教団「日毎の糧」(2021)から転載】

3/1(月)【ダビデ、ユダの王となる】サムエル記下2:1-11 詩編120編
ヘブライ人への手紙1:1-14

3/2(火)【ダビデ王とペリシテ人】サムエル記下5:1-10、17-25 詩編121編
ヘブライ人への手紙2:1-9

3/3(水)【神の前、エルサレムへ】サムエル記下6:1-19 詩編122編
ヘブライ人への手紙2:10-18

3/4(木)【ナタンの預言】サムエル記下7:1-13 詩編123編
ヘブライ人への手紙3:1-6

3/5(金)【ダビデの祈り】サムエル記下7:18-29 詩編124編
ヘブライ人への手紙3:7-19

3/6(土)【ダビデとメフィボシェト】サムエル記下9:1-13 詩編125編
ヘブライ人への手紙4:1-11

主日礼拝ライブ(同時中継)礼拝の視聴方法

https://www.facebook.com/tachikawachurch/live

にアクセスします。
(お気に入り登録をしておくと、その都度URLを入力しなくも済みます。)

※Facebookユーザーでなくても、礼拝の視聴は可能です。
※Facebookユーザーでない場合、「ログイン」または「新しいアカウントを作成」の画面表示が出ますが、ログインや新しいアカウントを作成しなくても視聴することができますので、無視して問題ありません。
※お手持ちのデバイス(パソコン・スマホ・タブレット等)で視聴する場合、音声が小さく聞こえにくい場合があります。その際は、イヤホンを使用すると音声が聞こえやすくなる場合がありますので、ご利用ください。

◆2021年2月第4週の説教
■日 時:2021年2月28日(日)
■場 所:立川教会
■説教題:「感謝の香油を注いだ女と裏切りを企てるユダ」 
■聖 書:新約 マルコによる福音書 14:1-21(新約p90)
■讃美歌:287「ナザレの村里」1・2・3番、567「ナルドの香油」1・3番

お早うございます。

皆様、いかがお過ごしですか?

ワクチンの接種が始まりました。

私たちに行き渡るまでは、まだまだ時間がかかると思いますが、それでも、接種の開始を喜びたいと思います。

立川教会関係者からコロナの感染者が一人も出ていない事を感謝しつつも、感染して厳しい試練に遭われている方々のことを忘れることなく、コロナ禍の一日も早い収束を祈り続けたいと思います。

ところで、先週の礼拝の奨励は、朝海和久さんにお願いしました。

祈りについて、日頃考えておられることを語られましたが、私も改めて祈りについて考える機会を与えていただきました。お話しの中の「息をするように自然に祈る」との言葉が、心に残りました。

今年度は、コロナ禍にあっても、すでに4人の方に奨励者として立っていただいています。そして、それぞれの方が話された、キリストの香りを放つような宣教師であった方への想い、神様に導かれながら礼拝を探し求め続けた歩み、あるいは、ご自身の信仰者として歩んだ道や、又祈りについての考えなどをお聞きしながら、立川教会の交わりに生きる皆様のことをこれまで以上に知る時となりました。

さらに、先日送らせていただいた『教会70周年』記念誌へ寄せられた文章です。

私は、皆様から寄せられた一つひとつの文章に目を通しながら、教会の交わりは、お互いを良く知ることから始まることを思い知らされています。

書かれた内容の多くは、私にとって初めて見聞き知ることでした。

これまで皆様が歩まれた道のわずかでも教えていただき、そして今思い巡らされている事どもなども知りました。これら30余り、それぞれの人生に彩られた立川教会の交わりを思い浮かべるのです。何と言う豊かな交わりであることかと。

このような交わりが与えられていることを神様に感謝しつつ、今朝の聖書の御言葉に耳を傾けたいと思います。

イエス様の十字架への受難の時が始まります。

マルコによる福音書第14章1節と2節です。

1:さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。

過越の祭りは、当時のユダヤ社会における3大祭りの一つで、中でも最も盛大な祭りでした。遠い昔、イスラエル民族が、奴隷の地であったエジプトからモーセに率いられ、出エジプトを果たしたその日を記念するお祭りでした。ユダヤの暦であるニサンの月の15日(木)夕方から16日(金)にかけて祝われていました。この時に食事として出されたのが、屠られた傷のない小羊と、種入れぬパン、即ち味も膨らみも無い貧しいパンでした。出エジプトに際し、先祖たちが食べた貧しいパンを食べ、苦難の日々を忘れないようにしたのです。 

この種入れぬパンに関わるのが除酵祭と呼ばれるお祭りで、除酵祭は過越祭と同じ日から始まり、7日の間、種入れぬパンを食べ続けるのです。

2節です。

2:彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。

イエス様を殺そうとしていた者たちの恐れ、それは、イエス様が、民衆たちから絶大な信頼と称賛を得ていたことです。彼らは、「民衆が見ている前で、イエスを捕らえることは出来ない。そんなことをしたら、民衆が暴動を起こし、どんな不測の事態が起きるか分からない。民衆の知らないところでイエスを葬り去ろう」と考えていたのです。つまり、祭司長たちや律法学者たちの企みは、明るい昼間ではなく、夜の暗闇の中でしか成し得ないことでした。

3節から5節です。

3:イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、1人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

4:そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜこんなに香油を無駄遣いしたのか。

5:この香油を300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。

今日与えられた聖書の重要な一場面です。

この場面をどのように受け止めたら良いのか、私たち一人ひとりにマルコは問いを投げかけているようにすら思います。

まず3節に出て来るベタニアですが、イエス様がエルサレムで活動される時はいつもこのベタニアの村を常宿にしていました。重い皮膚病の人シモンと言うのは、イエス様によって病いを癒された人であるシモンの家であったと思われます。そこで食事の席に着いておられた時、一人の女性が登場します。

まず、イエス様と弟子たちとが食事の席に着いているその場所に、突然女性が入って来るなど、当時の常識では考えられないことでした。

その上、その女性は、香油の入ったナルドの壺を割って、中に入っていた香油を全てイエス様の頭に注ぎかけます。

食事の席に、突然女性が入って来て、壺を割り、香油をイエス様の頭に注ぎかける。

この出来事さえ異常事態であるのに、なおかつその香油は非常に高価な香油でした。その値は、労働者300日分の給与に匹敵するほどのものであったと言うのです。今に換算すればおよそ300万円ほどでしょうか。驚くべき高額です。

そして、それを見た弟子たちが、この女性を厳しく咎めます。「何と言う無駄なことをしたのか」と。「それを売れば、貧しい人をどれだけ助けられるか分からない」と。

マルコは、この女性を咎めた弟子が誰かとは書いていません。

ただ、そこにいた人の何人かとだけ書いています。

この女性を咎めた人々には、聖書の次の言葉がありました。

申命記第15章11節、モーセが民に命じた言葉です。

11:この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。

ですから、この女性を厳しく咎めたのは、モーセのこの教えに従ったとも言えます。

モーセが教えたように、300デナリオンもする高価な香油であるなら、それを売って、なぜ貧しい人々に施さないのかと激しく怒ったのです。

しかし、興奮している彼らに対し、イエス様は次の言葉を語ります。

6節から9節です。

6:イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

7:貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

8:この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

9:はっきり言っておく。世界中のどこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

このイエス様の言葉によって明らかになるのは、咎めた弟子たちとこの女性が見つめていたものの違いです。弟子たちの視線の先にあったのは、高価なナルドの香油でした。

しかし、この女性の視線の先にあったのは、これから十字架に架けられようとするイエス様でした。女性は、これから先、イエス様に何が起きるかは知りません。しかし、高価な香油の入った壺を割り、惜しげもなくイエス様の頭に注ぎかけたその行為を成さしめたのは、イエス様に対する尽きせぬ感謝の思いであったと思うのです。

皆様にも経験があると思います。

ある事に対する心からの感謝は、お金の価値を相対化してしまうことをです。

それがもし、命に関わることへの感謝であるなら、時には、自分が自由に出来るお金の全てを、感謝する対象である相手に渡しても惜しくはないと。

恐らく、この女性も、きっと、同じような経験をしていたのだと思います。

イエス様によって、助けられ、彼女の人生は救われたのです。

ですから、食事の席に入り、惜しげもなく高価な香油を注いだのです、何物にも代え難いイエス様に対する感謝の徴として。

しかし、弟子のある者たちには、彼女の行為も、イエス様の言葉も理解出来ませんでした。「何と言う無駄なことをこの女はしたのだろうか。それに対し、イエス様は、注意するどころか、この女の行為を賞賛するとはどう言うことなのか」と。

そして、10節、11節です。

10:12人のひとりイスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。

11:彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。

事態の推移から見れば、厳しくこの女性を咎めた者の一人はユダであったかも知れません。ユダは、イエス様が神様から与えられた使命を理解することが出来なかったからです。女性のイエス様への香油注ぎが、埋葬の準備の意味を持っていたことも勿論彼には理解出来ませんでした。

12節から16節です。

12:除酵祭の第1日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。

13:そこで、イエスは次のように言って、2人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。

14:その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』

15:すると、席が整って用意のできた2階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」

16:弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事の準備をした。

夕方になって、いよいよ過越の日が訪れました。

ユダヤの暦では、日が落ちる夕方から一日が始まります。

イエス様と12弟子が過越の食事をする場所として備えられたのは、大きな家であったようです。

17節から21節。

17:夕方になると、イエスは12人と一緒にそこへ行かれた。

18:一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの1人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。

19:弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。

20:イエスは言われた。「12人のうちの1人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。

21:人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

記念すべき過越の食事です。

しかし、そこには、すでにイエス様を売り渡すことを祭司長たちに約束した12弟子の一人、ユダもいました。

裏切られるイエス様の気持、そして裏切るユダの気持を思わずにはいられません。

イエス様が、ユダに投げかけられた言葉です。「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

この言葉を、イエス様はどのような思いでユダに語り、ユダも又、この言葉をどのような思いで聞いたのでしょうか。

チャンスはまだ残されていたはずです。

イエス様から「生まれなかった方が、その者のためによかった」と言われたその時、ユダには悔い改めの機会が訪れても良かったはずです。しかし、事態は変わりませんでした。

私は、この時、神様のご計画とは何かを考えるのです。

そして、神様に従うとはどのようなことかを考えるのです。

人の思いを優先させれば、イエス様は、ユダがこれから行おうとしているイエス様を裏切る行為を止めようとしたと思います。しかし、イエス様は止めませんでした。神様の御心のままに従おうとされたからです。そして、神様は、その御心を成し遂げるために、サタンがユダの心を支配することを許されたのではないかと思います。

私たちの人生の道は、神様によって備えられています。

しかし、時に、サタンの誘惑を退けることが出来ず、踏み誤ることがあります。

その時です、本当に信仰が試されるのは。

私たちがどこまで真剣に神様が備えられている道を再び見出し、そこに立ち戻ろうとするかどうかを、神様は見つめておられます。

今日与えられた最後の箇所、22節から26節です。

22:一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」

23:また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。

24:そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

25:はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」

26:一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

最後の晩餐の時も、食事を終えてオリーブ山に向かう時も、ユダは一緒でした。

彼も又、イエス様からパンとぶどう酒を受け、賛美の歌を歌いました。

12弟子。そこにはイエス様を裏切る者がいました。ユダだけではありません。イエス様が捕らえられた時、残された10人の弟子たちは逃げ去り、ただ一人イエス様の後を追ったペトロも又、最後の最後で三度イエス様を否みました。

それが、イエス様が愛し抜かれた12人の弟子たちの現実です。

しかし、イエス様は、このような弟子たちをそれでも愛し、愛し抜かれたのです。

そして、今ここにいる私たちも又、イエス様は愛し、愛し抜かれています。

その愛に、私はどのように応えるのでしょうか。

その愛に、私たちはどのように応えるのでしょうか。
祈りましょう。

2021年2月28日(月)
立川教会牧師飯島 信

2月第3週の奨励

■日 時:2021年2月21日(日)
■場 所:立川教会
■奨励者:朝海和久 兄
■奨励題:「絶えず祈るためには」
■聖 書:新約 テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18(新p379)
■讃美歌:475「あめなるよろこび」430・「とびらの外に」