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1月第4週の礼拝説教
■日 時:2025年1月26日(日)10:30~11:30降誕節第5主日礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:マタイによる福音書4章18~25節(新約P5~6)
■説教題:「 網を捨てて従う 」
■讃美歌:55(人となりたる 神のことば、)433(あるがままわれを 血をもてあがない、)
本日の聖書箇所を見聞きしたほとんどの方は、「あゝ、この箇所はペトロたち4人の漁師を弟子にするときに、イエス様が『人間を取る漁師にしよう』とおっしゃった有名な場面だな」と思われたのではないでしょうか。最も簡潔に記されているのはマルコによる福音書ですが、本日の箇所であるマタイによる福音書もほぼ同じ内容を記しています。実は、私はこの箇所が本日の聖書箇所として取り上げられていることを知った時から、ある書物に描かれている場面を思い出しておりました。高橋たか子という作家が『私の通った路』という題で、1980年9月から1988年11月まで、パリのエルサルム会という都市の中にある観想修道会で修道生活を過ごした時代の回想記を記しているのですが、その中に記されている一つの場面です。私はこの本が1999年12月に出た直後に購入して読みました。カトリックの洗礼を受けている高橋たか子がパリへ行き、パリという都市の中でこの世の生活をしながら修道生活をするという動きを始めていた神父に誘われて、彼女自身もその会の発足にかかわろうとするときのことです。日本を出るときに紹介されていた別の神父のところに相談に行き、修道生活について訊ねています。「『この隠修者というのは、どういう条件のものです?』一人で住むのだから、仕事とか衣食住に関して自分で決めることがいくらか許されるのではないかという、私としては具体的な質問だったのに、思いがけない強い言葉を、ペール(フランス語で神父という意味)・パットフォールは私に投げつけた。『どういう条件ですって?修道生活へ入るのは、無条件のことです!』・・・・・・ペール・パットフォールは、右のことを補うふうに、こうも言った。『マタイ伝やマルコ伝に、わたしに付いて来なさい、というイエスの言葉がありますね。シモンとアンデレは湖で魚をとろうと網を打っていたのだが、二人はすぐに網を捨ててイエスに付いて行った。これです、無条件というのは。付いて行く、これだけ』」その言葉に打たれるようにして、高橋たか子は、一人の修道者としてパリという大都市の中で、衣食住すべてに関して貧しい生活をしながら祈りに集中する日々を始めました。しかし、8年後に、それぞれが独立した修道生活を営んでいるはずの修道女たちとの人間関係に挫折し、日本に帰国してしまいます。今回は、そのことを思い出しておりました。そして、「一人の信仰者として、主イエスに声をかけていただき召された者は、無条件で付いて行く」ということを深く示されたように思います。
ところで、本日の聖書の箇所であるマタイによる福音書第4章18節から25節には、主イエスの伝道の初めの頃の二つの出来事が語られています。一つ目は、ガリラヤ湖の漁師だったペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネという二組の兄弟たちが主イエス・キリストの最初の弟子となったこと、二つ目は、主イエスがガリラヤ中を伝道して回り人々の病気を癒されたために、大勢の人たちが主イエスのもとに集まって来たことです。それぞれに「四人の漁師を弟子にする」「おびただしい病人をいやす」という小見出しがついているので、別々な話が並べられているように見えるのですが、実は、この二つの話は二つで一つのことを語っているのです。それは、いずれの話も「従った」という言葉が重要な役割を果たしているからです。20節に「二人はすぐに網を捨てて従った」とあり、22節にも「この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った」とあり、25節の終りにも「大勢の群衆が来てイエスに従った」とあります。原文ではこの三箇所はいずれも「彼に従った」という言い方になっています。つまりこれらの話は共に、主イエスに従う人々が生まれたことを語っているのです。
主イエスは、直前のマタイによる福音書4章17節において、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って伝道を始められました。それまでは全く無名の人だったのに、伝道を始めるとすぐに、主イエスに従う人々が生まれたのです。本日の聖書箇所の後半を読むと、大勢の群衆が主イエスに従ったのは理屈に合っているような気がします。なぜなら23節に、「イエスはガリラヤ中を回って諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」とあるからです。主イエスのそのような評判を聞いて多くの人々がやって来た、そして癒された人々が次々に主イエスに従った、ということは十分にあり得ると考えられます。しかし、それに先立って起こった四人の漁師たちが主イエスに従った、つまり弟子になったという出来事は簡単に納得できるようなことではありません。シモンとアンデレは湖で網を打っていました。ヤコブとヨハネは舟の中で網の手入れをしていました。つまり、漁師としてのいつもの仕事をしていたのです。主イエスの話を聞きに来ていたわけでもないし、病気や苦しみを癒されたわけでもありません。ところが彼らは、主イエスが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りかけると、すぐに「網を捨てて」つまり仕事を捨てて「従った」し、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネは、舟と父親をもそこに残して従っていったのです。どうしてこんなことができるのだろうか、と私たちは思います。キリスト教に出会ったころの私は何も知りませんでしたから、この箇所を読んで、細々と湖で漁をしながらその日暮らしをしている人々を思い描いていました。しかし、実際にガリラヤ湖に行き、2000年前の舟が発見されて厳重な条件のもとに保存されているのを見たときに、当時、自分の舟を所有し自分の網を所有して漁師をしているということが、どれほどの社会的な立場のある人々だったか、ということが見えてきました。現代で考えるならば、漁船を所有している網元のような経営者に相当するのではないかと思います。
ところで、ルカによる福音書の5章は、「漁師を弟子にする」という同じ話を、彼らが夜通し漁をしても何もとれなかったのに、主イエスの言葉に従って網を降ろしてみたら大漁になったというように、驚くべき体験をしたというように話を進めています。そうであれば、すぐに主イエスに従ったのも当然のような気がします。けれども、マタイによる福音書はそういうことを全く語らず、ただ四人の漁師たちがそれまでの彼らの人生を象徴する「網」を捨てて、主イエスに従って行った、ということだけを描いているのです。マタイによる福音書が語っているのは、主イエスが「わたしについて来なさい」と語りかけ、彼らがそれに応えて従ったという事実です。そして、実は23節以下の出来事も同じことが語られているのです。私たちは、おびただしい人々が主イエスに病気を癒され、苦しみから救ってもらったから従ったのだと考えてしまいがちです。けれども、病気が癒されるという奇跡を体験したからといって、主イエスに従っていくということが必ず起こるわけではありません。ですから、25節に「大勢の群衆が来てイエスに従った」とあるのは、決して当たり前ではなくむしろ驚くべきことなのです。四人の漁師たちが主イエスに従ったのと基本的には同じことが、ここでも起っているのです。四人の漁師の場合、そのことを引き起こしたのは「わたしについて来なさい」という主イエスの語りかけでした。群衆の場合は、主イエスが癒しをなさる前に「御国の福音を宣べ伝え」ておられたのです。その福音を聞いた民衆のなかに主イエスに従う者が起されていった、ということをマタイによる福音書は語っているのです。
ペトロとアンデレは「すぐに網を捨てて従った」、ヤコブとヨハネは「すぐに、舟と父親とを残してイエスに従った」とあります。この「捨てて」と「残して」は原文では同じ言葉です。ですから、22節も「舟と父親とを捨てて」と訳すこともできるのです。ここには、主イエスに従うことにおいては捨てなければならないものがある、ということが語られています。しかも、それは、自分自身の生活を成り立たせている大切なものです。それらを捨てて無条件で主イエスの後についていくように促されているのです。しかしそれは、主イエスに従うためには仕事をやめなさいとか、家族とは縁を切りなさい、というような短絡的なことではありません。そうではなくて、悔い改めて主イエスに従うことは、自分の大事なものを捨てることなしにはあり得ないということだと思います。それが何かは一人一人異なることでしょう。けれども、私たちがそういう生き方をできるとしたら、そこには、私たち一人一人が主イエスの十字架によって既に贖われた者であるという恵みがはっきりと見えているのではないでしょうか。そこから、主イエスの方へと向き変えて、主イエスに従っていくものでありたいと思います。
立川教会牧師 保科 けい子