◆立川教会の定例集会の案内
【毎日曜日】
・教会学校(幼児・小学生対象):8:30-9:00
・ジュニア礼拝(中高生対象):9:15-9:45
・主日礼拝:10:30-11:30
【毎水曜日】
・聖書研究・祈祷会: 10:30-11:30
現在、旧約聖書の「創世記」を学んでいます。
主日礼拝ライブ(同時中継)礼拝の視聴方法
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※Facebookユーザーでなくても、礼拝の視聴は可能です。
※Facebookユーザーでない場合、「ログイン」または「新しいアカウントを作成」の画面表示が出ますが、ログインや新しいアカウントを作成しなくても視聴することができますので、無視して問題ありません。
※お手持ちのデバイス(パソコン・スマホ・タブレット等)で視聴する場合、音声が小さく聞こえにくい場合があります。その際は、イヤホンを使用すると音声が聞こえやすくなる場合がありますので、ご利用ください。
◆日本基督教団立川教会 創立1951年2月11日 主任担任教師 保科けい子
◆〒190-0022 東京都立川市錦町3丁目11番9号 電話/FAX042-523-2023
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◆教会墓地 八王子市南淺川町3079 第二高尾霊園(京王線高尾山口駅下車徒歩20分)
5月第3週の礼拝説教
■日 時:2023年5月21日(日)10:30-11:30 復活節第7主日
■説 教: 保科けい子 牧師
■説教題:「 世の終わりまで 」
■聖 書:マタイによる福音書28章16~20節(新約p60)
■讃美歌:90「 主よ、来たり、祝したまえ。 」 510「 主よ、終わりまで 」
私たちの立川教会も、今年は4月9日にイースターを祝い、復活の主イエスの力強い導きを信じて新年度の歩みを始めています。そして、復活された主が40日間弟子たちと共におられた後、天に昇られ、約束してくださった聖霊が注がれたことを覚えるペンテコステ礼拝を来週の5月28日に迎えようとしています。そのような中で、本日はマタイによる福音書の結びにあたる28章16節から20節をご一緒に読んでまいりたいと思います。この箇所は、主イエスが復活された直後に、ガリラヤの山の上で11人の弟子たちに会い、彼らに向かって語られた御言葉で締めくくられています。そして、この主イエスの御言葉は、今日に至るまで主イエスを信じる群れに呼びかけられているのです。この箇所で記されている復活の主と弟子たちの出会いの場面をみると、ルカによる福音書やヨハネによる福音書が記している復活の主イエスと弟子たちとの出会いの出来事とは異なっています。特にルカによる福音書では、弟子たちは初めのうちは不安ながらもやがて大きな喜びにつつまれるという劇的な出会いの場面が描かれています。そこで弟子たちは力づけられて復活の証人となり遣わされて行きました。それに比べて、マタイによる福音書では復活の主と弟子たちとの出会いは状況描写がほとんどなく簡潔に記されています。
マタイによる福音書28章17節では、「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」とあります。ここで注目したいのは、この場面で弟子たちの中に「疑う者」がいたことです。ヨハネによる福音書に登場するトマスのように名前を記されている特定の人物ではなく、おそらく複数の弟子たちがそうだったのではないかと考えることができます。現代の私たちもまた、聖書の復活の出来事を読むたびに、心のどこかでは疑いを抱いているのではないでしょうか。そのことについて、ある方は、「ここで十一弟子たちが復活の主に会っていても、なお疑いをもっているのは、主イエスが逮捕され、十字架にかけられたとき、主を捨てて逃げてしまったことが彼らの中に重い闇となって支配しているからと思われます。」と述べています。そのような動揺する弟子たちのところに、主イエスはご自分から「近寄って来て言われた。」と18節では語られています。それは、主イエスの力強い宣言でした。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」。すでに、11人の弟子たちは主イエスの前に「ひれ伏し」ていたはずです。しかし、どんなに頭を低くしてひれ伏していても、彼らの心が納得できていなければ、そこに本当の意味での復活なさった主イエスとの出会いがあるとは言えないのです。それは今、この礼拝に集っている私たちも同じです。ですから、この場で「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」という主イエスの宣言が私たち一人一人に聞こえてくるならば、私たちは心から主イエスとの出会いに納得して、感謝してこの礼拝をささげることができるのではないでしょうか。
そして、本日の聖書個所マタイによる福音書28章16節から20節は「大伝道命令」あるいは「大宣教命令」と呼ばれることもあります。主イエスは昇天に際して、弟子たちに「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」といういわば「世界伝道」への使命を与えられました。19世紀になって、この言葉は世界全体に宣教運動を沸き起こしたと言われています。日本にもプロテスタント教会の宣教師が多数訪れ、福音を宣べ伝え多くの教会が作られました。いつの時代にあっても、聖書の御言葉は生き続けているのです。その「大宣教命令」の具体的な内容が19節と20節に語られています。
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」とあります。この御言葉には、「行って」「弟子にしなさい」「洗礼を授け」「教えなさい」と、4つの指示がなされています。ところが、この中で命令形なのは「弟子にしなさい」という動詞一つだけなのです。あとの三つは分詞形になっています。つまり「何々しながら」と訳すほうが良い言葉です。ある方はその部分を「あなたがたはすべての人々を弟子にしなさい。歩みつつ、洗礼を授けつつ、教えつつ」と訳し、「教会の働きの現実を、短くみごとにまとめていると言っても過言ではない。」と語っておられます。そして、そのような働きに遣わされる弟子たちに、またその弟子たちに続く多くの弟子たちの群れである教会に、究極の宣言をもって励ましておられるのが、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。という御言葉です。そういうわけで、マタイによる福音書は元の言葉でも28章20節は「世の終わりまで」という御言葉で結ばれています。私は、すでに何度か語ってきたことですが、ある時から、聖書の御言葉には絶対的な「+(プラス)」が付いていると思うようになりました。単純に言い換えれば、たとえ、どのように厳しい現実の事柄が描かれていても、それは最終的にはプラスに変えられるということです。ですから、私たちがその聖書の御言葉を心から信じて主イエスに従っていくならば、主イエスは必ず「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と私たちに宣言し続けてくださるはずです。その宣言に心を傾けながら、私たちもまた、この後で歌う讃美歌510番の冒頭の歌詞のように「主よ、終わりまで しもべとして あなたに仕え したがいます。」と口ずさみつつ、新しく歩み続けてまいりましょう。
立川教会牧師 保科 けい子