お知らせ

◆立川教会の定例集会の案内
【毎日曜日】
・教会学校(幼児・小学生対象):8:30-9:00
・ジュニア礼拝(中高生対象):9:15-9:45
・主日礼拝:10:30-11:30

【毎水曜日】
・聖書研究・祈祷会: 10:30-11:30
 現在、旧約聖書を学んでいます。

主日礼拝ライブ(同時中継)礼拝の視聴方法

https://www.facebook.com/tachikawachurch/live

にアクセスします。
(お気に入り登録をしておくと、その都度URLを入力しなくも済みます。)

※Facebookユーザーでなくても、礼拝の視聴は可能です。
※Facebookユーザーでない場合、「ログイン」または「新しいアカウントを作成」の画面表示が出ますが、ログインや新しいアカウントを作成しなくても視聴することができますので、無視して問題ありません。
※お手持ちのデバイス(パソコン・スマホ・タブレット等)で視聴する場合、音声が小さく聞こえにくい場合があります。その際は、イヤホンを使用すると音声が聞こえやすくなる場合がありますので、ご利用ください。

◆日本基督教団立川教会 創立1951年2月11日 主任担任教師 保科けい子
◆〒190-0022 東京都立川市錦町3丁目11番9号 電話/FAX042-523-2023
◆郵便振替 口座名:日本基督教団立川教会 口座番号:00110-1-92251
◆郵貯銀行 預金種目:当座預金 店名:0一九 口座番号:0092251
◆教会墓地 八王子市南淺川町3079 第二高尾霊園(京王線高尾山口駅下車徒歩20分)

4月第2週の礼拝説教
■日 時:2024年4月14日(日)10:30~11:30 復活節第3主日
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:ヨハネによる福音書21章1節~14節(新約p211)
■説教題:「 弟子たちに御自身を現され 」 
■讃美歌:57「 ガリラヤの風かおる丘で」442「 はかりも知れない 神の恵みよ、 」

先週の週報から、右のページの内容を少し変えました。以前には【聖書研究・祈祷会】のお知らせを乗せていたスペースに、日本基督教団の聖書日課で取り上げられている聖書箇所を載せています。先週の月曜日から土曜日は、エフェソの信徒への手紙の4章から6章まででした。この聖書日課の箇所については、『信徒の友』の「日毎の糧」で毎日短い講解がなされています。最近ではこの「日毎の糧」によって家庭礼拝や家庭祈祷会などをしておられる方々が減少したと伝え聞いていますが、以前には全国でかなりの方々がなさっておられたということでした。そして、その日に祈りに覚える教会が示されていますので、覚えて祈りその教会にお便りを出すということまでを日々の習慣にしている方もかなりおられました。現在では、そのような信徒の方々も高齢化して減少に歯止めがかからないようです。しかし、先週は私も毎日、その日その日に定められているエフェソの信徒への手紙を読んで見ましたところ、不思議な祈りの繋がりを感じさせられました。また、エフェソの信徒への手紙は全体で6章という短いものですから、1章から6章まで全体を通して読んで見ました。そうしましたら、今までも何度も読んだことがあるはずなのに、主イエス・キリストの復活について簡潔にまとめられている箇所に初めて出会うような思いがしました。1章15節から23節にある「パウロの祈り」という見出しのついた段落の中の19節から21節です。読んでみます。「19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。」。最近説教で取り上げているヨハネによる福音書とはまた異なった描き方で、主イエス・キリストの復活をどのように信じているのかを改めて知らされることになりました。

さて、いよいよヨハネによる福音書の最後の21章に入ります。本日の箇所には、復活なさった主イエスが、ティベリアス湖畔つまりガリラヤ湖畔で弟子たちに現れたことが語られています。ヨハネによる福音書だけが、ガリラヤ湖畔ではなく第2代ローマ皇帝ティベリウス(在位AD14~37年)の名にちなんだティベリアという町の近くにあるのでティベリアス湖畔と記しています。20章では復活なさった主イエス弟子たちに現れたのはエルサレムでしたが、ここではティベリアス湖畔となっており、その時に共に集っていた弟子たちは7人でした。おそらく、11人の弟子たちは、それぞれの生まれ故郷に戻っていたのかもしれません。シモン・ペトロが「わたしは漁に行く」と言ったので、他の弟子たちも共に舟に乗り込み漁をしました。ペトロたちは元々この湖の漁師だったのです。しかし、その夜はいくら網を打っても何もとれませんでした。夜明けに、岸に主イエスが立っておられました。弟子たちはそれが主イエスだと分かりませんでしたが、その人の「舟の右側に網を打ちなさい」という言葉に従ってもう一度やってみると、網にいっぱいになるほど魚が取れたのです。一晩中何も取れなかったのに、主イエスの言葉に従ってやってみたら奇跡的な大漁になったという話はルカによる福音書の5章にもあります。元々は同じ出来事だったのが別々の流れで伝えられてきて、ルカによる福音書ではマタイによる福音書やマルコによる福音書と同じように、漁師たちを「人間を取る漁師」にする出来事として描かれています。けれどもヨハネによる福音書では、復活なさった主イエスが三度目に御自身を現された出来事、すなわち復活の確かなしるしとして描かれているのです。

ところで、ヨハネによる福音書な元々は20章で終わっていたのではないかということは先週お話いたしました。そうすると、この21章は、この福音書を書いた著者かあるいはヨハネによる福音書に関する伝承を担っている教会によって、後でつけ加えられたものだと考えられます。その書き加えにおいて奇跡的大漁の話が用いられたのですから、深い意味が込められていることが分かります。シモン・ペトロが「わたしは漁に行く」と言うと、他の人たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ったのですから、ペトロが彼らの先頭に立っていることが分かります。その漁において一晩中全く魚が取れなかったのに、朝になって主イエスのお言葉に従って舟の右側に網を打つと、網を引き上げることができないほどの大漁となったのです。しかし、弟子たちはそのようなアドバイスをしてくれたのが主イエスであるとはわかりませんでした。それに気づいたのは、7節に「イエスの愛しておられたあの弟子が」と語られている、ヨハネによる福音書だけに特別な仕方で描かれている一人の弟子でした。この弟子は最後の晩餐の場面から、12弟子としてひとまとめの形ではなく一人の弟子として登場しており、主イエスの十字架の死の時にもその場に立ち会い、イースターの朝に主イエスの墓が空であることを確認した人でもありました。この弟子が、このヨハネによる福音書を書いた著者と特別の関係があると考えられています。イエスの愛しておられた弟子は大抵ペトロと共に出て来ており、時にはペトロより優位に立っていたようにも見えます。しかし、先ほども申し上げましたが、ペトロが弟子たちの先頭に立つ者であり、イエスの愛しておられたこの弟子もペトロを重んじていることは明らかです。いずれにせよ、弟子たちは復活なさった主イエスとすでに2度もお会いし聖霊を注がれたはずなのに、その後の歩みは生き生きとしたものではなかったように思われます。生まれ故郷のガリラヤに帰り元々の生業であった漁師に戻ってはいるのですが、ペトロが言い出した夜の漁でも「その夜は何もとれなかった。」とあるように、なかなか元の調子には戻れずに落ち込んでいる様子が描かれています。私たちも、主イエスに出会い信仰を与えられて歩み出したはずなのに、なかなか生き生きとした歩みにはなれないことは、経験しているのではないでしょうか。

けれども、その沈んで元気のない弟子たちの流れ変えたのは、1節で「弟子たちに御自身を現された」と記されている主イエスの言動でした。繰り返しになりますが、主イエスが「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と言われたので、その通りに網を打ってみると、網を引き上げることができないほどの大漁でした。その時、イエスの愛しておられた弟子が声の主が主イエスであることに気づき、「主だ」と言いました。彼の言葉を聞いたペトロは上着をまとって湖に飛び込み、泳いで主イエスのもとに駆けつけました。そして、ほかの弟子たちは網を引いて舟で戻って来たのです。陸に上がってみると、炭火がおこしてあり、主イエスが「今とった魚を何匹か持って来なさい」とおっしゃいました。取れた魚が153匹だったという数字にも深い意味があると言われていますが、ここでは何よりも、主イエスが備えて下さった食事に弟子たちは共にあずかったということが大事なのだと思います。12節後半に「弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである」とあります。復活して生きておられる主イエスが今共にいて下さる、その満ち足りた祝福を弟子たちはこの食事においてはっきりと感じていたのです。13節をみますと、「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。」と記されています。主イエスの十字架との死とその復活を記念として覚える聖餐とは違い、この時の主イエスが与えてくださったのはパンと魚でした。このとき3度目に念を押すようにして弟子たちに現れた主イエスは、かつて弟子たちと共に何度も何度も日々の食卓を囲まれたことでしょう。それをもう一度味わった弟子たちは、今度こそ生前の主イエスの語られた御言葉を思い起こし、新しく歩み出したのではないか、と思います。それは、「さあ、元気を出して頑張ろう!」というような声高らかなものではなかったかもしれません。しかし、主イエスが確かに私たちと共に歩んでくださっておられるという確信を、7人の弟子たち一人一人に静かに与えてくださるものであったのではないでしょうか。私たち一人一人のこの礼拝から送り出される歩みも、そのような静かな揺るぎのないものなのです。

立川教会牧師  保科 けい子

4月第1週の礼拝説教

■日 時:2024年4月7日(日)10:30~11:30 復活節第2主日
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:ヨハネによる福音書20章19節~31節(新約p210)
■説教題:「 信じない者ではなく 」 
■讃美歌:120「 主はわがかいぬし」197「 ああ主のひとみ、 」

3月第5週の礼拝説教

■日 時:2024年3月31日(日)10:30~11:30 復活節第1主日(イースター礼拝)■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:ヨハネによる福音書20章1節~10節(新約p209)
■説教題:「 週の初めの日 」 
■讃美歌:323「 喜び祝え、わが心よ。」326「 地よ、声高く 告げ知らせよ、 」

3月第4週の礼拝説教

■日 時:2024年3月24日(日)10:30~11:30 受難節第6主日(棕梠の主日)礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:ヨハネによる福音書12章12節~65節(新約p192)
■説教題:「 なつめやしの枝を持って 」 
■讃美歌:307「 ダビデの子、ホサナ。祝福あれ、」313「 愛するイエス、何をなされて 」

3月第3週の礼拝説教

■日 時:2024年3月17日(日)10:30~11:30 受難節第5主日礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:コロサイの信徒への手紙2章6~15節(新約p370)
■説教題:「 キリストにおいて満たされて 」
■讃美歌:299「 うつりゆく世にも かわることない 」460「 やさしき道しるべの 光よ、1~4節 」

3月第2週の礼拝説教

■日 時:2024年3月3日(日)10:30~11:30 受難節第4主日礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:コリントの信徒への手紙二1章15~22節(新約p326)
■説教題:「 わたしたちに証印を押して 」 
■讃美歌:297「栄の主イエスの 十字架をあおげば、」575「球根の中には 花が秘められ、」

3月第1週の礼拝説教

■日 時:2024年3月3日(日)10:30~11:30 受難節第3主日礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:ガラテヤの信徒への手紙2章11~21節(新約p344~345)
■説教題:「 神に対して生きるために 」
■讃美歌:298「ああ主は誰がため 世にくだりて、」393「こころを一つに 平和を求め、」

2月第4週の礼拝説教

■日 時:2024年2月25日(日)10:30~11:30 受難節第2主日礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:エフェソの信徒への手紙5章6~14節(新約p357~358)
■説教題:「 光の子として歩む 」
■讃美歌:296「 いのちのいのちよ、死の死なる主よ、 」502「 光のある間に 歩くならば 」

2月第3週の礼拝説教

■日 時:2024年2月18日(日)10:30~11:30 受難節第1主日礼拝
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:ヘブライ人への手紙4章1~16節(新約p405)
■説教題:「 憐れみを受け、恵みにあずかって 」 
■讃美歌:13「 みつかいとともに イェスのみ名の 」294「 ひとよ、汝が罪の 大いなるをなげき、」

2月第2週の礼拝説教

■日 時:2024年2月4日(日)10:30~11:30 降誕節第6主日礼拝(創立記念日)
■説 教: 保科けい子牧師
■聖 書:新約:フィリピの信徒への手紙4章10~20節(新約p366~367)
■説教題:「 わたしを強めてくださる方のお陰で 」 
■讃美歌:12「とうときわが神よ、くらぶるものなき主よ、」 390「 主は教会の 基となり、」